福岡何でも辞典>ローカルな質問ですみません。福岡市中央区天神の百貨店、岩田屋は何の跡地に建てられたのか御 …

Fukuoka-Times

ローカルな質問ですみません。福岡市中央区天神の百貨店、岩田屋は何の跡地に建てられたのか御 …

岩田屋に関するクチコミ、評判、Q&Aを掲載しています。 岩田屋についての詳しい説明、通販情報などは「岩田屋」をご覧ください。

福岡なんでも辞典

  

 

2010年01月03日 Q.質問
ローカルな質問ですみません。福岡市中央区天神の百貨店、岩田屋は何の跡地に建てられたのか御存知の方はいらっしゃいませんでしょうか? 岩田屋本館です。本館の前は岩田屋Zサイドでした。 そのもっと前がなんだったのか知りたいのです。 とても霊感の強い知人が岩田屋に行くと具合が悪くなると言うものですから。営業妨害になるようなことを書いてしまい、岩田屋関係者様には申し訳なく思いますが、色々調べてもわからないのでおたずねします。宜しくお願いします。
見つかりませんでした
 

 

2010年01月10日 A.回答
具体的な歴史の中で特にその周辺が昔から霊的な磁場が悪い、、とは言えないとは思いますが。 質問者さんの意図を組んで次代をさかのぼってみます。確かに現岩田屋本館は、旧電電公社の 建物があった場所であり、新館は大濠に移転する前のNHK福岡放送局でした。 問題はそれ以前の時代。 戦後福岡、博多にそれぞれ100有余の町が存在してましたが、昭和30年代前半から旧福岡部から 早く地番や町名の整理がされました。基本福岡部は横筋の町が連なります。 ですので、今は普通に「天神」と言っていますが、中州大橋を渡ってりそな銀行までの横筋は 「天神ノ丁」と言っていました。その後、天神町になって今の天神ですね。 フタタ前の通り。昭和通ですが、那珂川を渡ってフタタ前くらいを「橋口ノ丁」。交差点の名称が 「橋口」となっているのはそのためです。 そして天神町の1本南の横筋。ベスト電器から西鉄グランドホテル突き当たりまでを「因幡ノ丁」 と言っていました。余談ですが、因幡うどんは「因幡町のうどん屋」から来てる屋号です。 問題はその南側ですね。天神中央公園から福岡市役所、ソラリア、岩田屋本館から 大濠まで江戸時代は大きな堀川が連なっていた場所です。 明治時代埋め立てられて岩田屋本館と新館の間の道ができ、そこを「薬院堀端町」と言っていました。 結論から言うと、岩田屋本館付近はその昔は那珂川から大濠公園に至るまで、 幅の広い堀川だったという事。 さらに黒田藩が赴任し福岡と名が付くまでは筑前国那珂郡福崎と言われ、自然な堀がまだ 草ヶ江と言う海と大濠が区別があまり無いころも存在していました。 草ヶ江の隣が荒江と言う海ですね。 昔から言いますが、水辺は特に霊的にも集まりやすい場所です。よく古い池を埋め立てて マンションを建てたところ、とんでもないことが次々に起こる、、、と言うことを良く耳にします。 西南の役や太平洋戦争などで貴重な資料が焼け、詳しい事は分かっていませんが、 旧薬院堀端町付近は、罪人が市中引き回しで通っていた道、、、と言う話しもあります。 これ以上詳しくは分かりませんが、江戸時代福岡藩のころは水辺であった事は間違いありません。 享保の大飢饉で多くの福岡、博多の武士、商人、町人が飢えで亡くなっていますが、 食べ物をすがるように堀や那珂川に飛び込んで水を飲みながら死んでいった、、と言う話しも 昔中学の歴史の先生から聞かされたこともあります。 中州にはその飢饉で亡くなった人を奉る「飢え人地蔵」があり、毎年法要が行われています。 長くなりましたが、以上の理由が考えられると思います。
 
Webサービス by Yahoo! JAPAN  
このコンテンツは、Yahoo!知恵袋より自動取得しています。